~村上春樹~
作家の後ろ姿を視野に入れ、その人が見つめる方向に眼をやることも楽しいものだ。
村上春樹氏は自分にとって、どんなことを考え、何を書くのかという興味の対象となっている人物。彼の著作のなかで特に興味があるのは、エッセイだ。「何故、走るのか」「歩哨」「雪かき仕事」といったキーワードのなかに非常に納得するものを覚える。
内田樹と平川克美は、その対話のなかで村上春樹の資質について以下のように語る。
内田 人間を人間たらしめている根本的な行為って、掃除とか炊事とか礼儀作法といった些事の中にあるでしょ。村上作品の最大の特徴は、そういうディセンシー(礼儀正しさ)に対する気づかいだと思う。
平川 地味だけれど、誰かがやらなければならない。やらなければ世界のバランスが崩れてしまう。そういう仕事がある。内田君はそれを「センチネル(歩哨)」と呼んでいる。「雪かき仕事」という表現もしていたね。
内田 自分のしている仕事は誰によっても代替できない。そう思ったら、人間は丁寧に生きると思うよ。自分の代わりが誰かいる。自分の失敗は誰かがケアしてくれる。そう思えるから人間は雑になるんだよ。自分がいなくなったら、自分の代わりは誰もできないと思ったら、人間の生き方は丁寧になるよ。
平川 でも世界には、そうしたディセンシーを阻もうとする、ものすごく邪悪なパワーが存在する。村上春樹はそれを、エルサレム賞の受賞スピーチで「システム」と呼んだね。壊れやすい個人を卵にたとえて、「いかなる時も私は卵の側に立つ」と宣言した。陳腐にも聞こえるけど、それを物語の中に溶かし込むと、身体を通してしみじみ伝わってくる。
内田 あと、村上作品の世界性は「欠落感」だというのが僕の仮説なんだ。
平川 村上春樹が「語らないこと」だよね。彼には言わないことがある。あれだけ饒舌に小説を書いても、けっして口にされない虚無が言語活動の中心にはある。
内田 父の話だね。父と息子の話は絶対に書かない。
平川 彼の父は戦争中、中国にいたんだけど、中国で一体何を見たのか。『中国行きのスロウボート』(83年)は重要な作品だけれど、実に謎めいているよね。
内田 それは「父がついに語らなかったこと」だと思う。父は語ることのできない経験をして、それを語らぬままに死んだ。その事実だけが息子に遺贈された。
平川 先日の朝日新聞でもノモンハンに触れ、「つまらないことのために人々が殺し合った」と書いていた。
内田 父から受け取ったものは、「言葉にできない体験を私はした」というメッセージだけだった。それは中国にかかわるものだった。その欠落感が村上春樹の文学に深く関わっている。
以下、略。
「歩哨的資質」の発露はボアンティアだけではない。勤め人、音楽家、料理人、、、全ての人間のなかに見いだせる資質であるし、求められる資質であると思う。そのことを声高ではなく、しずかに文章に「埋め込む」ところに、まさに村上春樹の「歩哨」的資質を感じる。
そして、絶対に書かない「父と息子の話」。これは今後、かれの中で何かが起きたとき、著作になるのかもしれない。
だが、これは読むことのできない作品として彼と一緒に消えていくような気がしてならない。そのことが彼のメッセージなのだと思う。
次回は、同時代性を感じる作家、吉田篤弘についてです。
それでは、また!
〜吉田篤弘〜 紹介文
1970年代は人々が銭湯に行く日と時間を決めて暮らしていた時代だった。
自分はその帰り、町の本屋で秋元文庫を立ち読みしたり、70円程度の炭酸ドリンクを自販機で買って帰る日常を送っていた。
その想い出を語ることもなくなって久しいが、クラフトエビング商会の吉田篤弘氏も自分と同じ歳なので、話せばイメージしてもらえると思う。
成長し、大人となって彼が著作を成したとき、子どもであったときの心持ちを作品の中に入れこんでいるのが解る。そこに共有するものを、そして「同時代性」を感じるのだ。
さてその吉田篤弘氏、こだわり派の彼は音楽、映画にも詳しいが、自分の好きなものを散りばめたその作風は読む者に心地よさを与えてくれる。もちろん、心地よさだけではないのだが。。
今回はそんな彼の作品を二つ紹介しよう。