父を思ふとき
父の葬儀から10日が過ぎ、春が随分と進んできました。
父の君子蘭も見事に花を咲かせ、その色の見事さに驚かされます。
花に囲まれて、そして姪っ子たちに囲まれて父は旅立って行ったのですが、さらに葬儀に参加できなかった姪っ子や女子たちから自宅に花籠が届き、その愛されっぷりには脱帽です。
本当に父は女子たちに優しかったのですね。
入院中も看護師の女子に「かわい〜っ!」と愛されて、お世話してもらっていたようです。
そんな女子パワーと手術のおかげで腰の痛みもなくなり、おかげで安らかに「あちら」に行くことができたのだと思います。
87歳は高齢かもしれませんが、もう少し(あと10年くらい)一緒にご飯を食べたりテレビを見たりしたかったな。。
今年の年度末恒例、蕎麦屋での「一人納め会」は、何か「区切りの時間」になりました。
お客さんが安心して蕎麦をすすり、談笑する声を聞きながら、「コロナが落ち着き、またいつもの時間が流れだしたな」と思いましたが、父を見送った自分も寂しいはずなのに、何か温かな気持ちなのです。
父さんがいつも一緒にいてくれている感じ。。
そうか、父さんが違う形でいつもそばにいてくれているんだなと思えるのです。
来月四月、四十九日を終え、春真っ盛りになる頃、緑の中を『見えない父さん』と散歩するのを楽しみに、忙しいけれど、ゆっくりと過ごして参ります。
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